いつも自分勝手で、わがままばかり言って、ごめんね。
本当は、そばにいてくれる、自分を受け止めてくれる家族の存在が
どんなに私の助けになっているか、わかりません。
ずっとずっと一緒にいられるわけじゃないから、
今みんなでいられるこの時を大切に、
感謝の気持ちを言葉やかたちで伝えていきたいです。
いつもありがとう。
そして、これからもよろしくね。
長野県・女性
ありがとういのちプロジェクト。 |
いのちに宛てた感謝の手紙。ありがとういのちの手紙で、「ありがとう」と「いのち」を伝える。 |
いつも自分勝手で、わがままばかり言って、ごめんね。
本当は、そばにいてくれる、自分を受け止めてくれる家族の存在が
どんなに私の助けになっているか、わかりません。
ずっとずっと一緒にいられるわけじゃないから、
今みんなでいられるこの時を大切に、
感謝の気持ちを言葉やかたちで伝えていきたいです。
いつもありがとう。
そして、これからもよろしくね。
長野県・女性
私は、小さい頃から両親に厳しく育てられました。
時には、うるさく感じられ、時には反発をしたくなる事がありました。
そんな私も二人の子供の親となり、親の気持ちがとても良くわかる様になり、
あの頃の自分を反省したとともに、親のありがたさがわかる様になりました。
幸いにも、私の両親は健在です。
いっぱいいっぱいできる限り、親孝行をしようと思ってます。
又、二人の子供が、結婚して、親となった時、親の気持ちがわかる様な子供に育ってほしいと願っています。
私は、二人の子供を流産というかたちで亡くしています。
その子供の分まで、生まれて来てくれた、二人の子供を大切に、命の尊さを教えていきたいと思います。
長野県・女性
親父はガンと闘って逝った。
病気の発覚から約2年の間、どんなに辛くても笑顔だった。
時折、くやしい表情を見せたりもしたが、孫を連れて行くと、笑顔を絶やさなかった。
もう、いつ死んでもおかしくない状況の中、兄弟で交代で付きそうことになり、
その最初が自分で、最後でもあった。
たまに声をかけてないと、呼吸が止まりそうで、呼吸の間隔が一定以上あくと、声をかけた。
「明日は東京から○○兄が帰って来るよ、がんばって。」と。
不安で眠れない夜が明け、兄貴と交代し、一旦自宅待機になった。
一睡もしてなかった自分は、倒れるように寝た。
「電話なっとるに。」の妻の声に、目を覚ますと着信が何回も入っていて、
電話に出ると「あぶないから、すぐに来い。」との事で、大至急車に乗って急いだ。
病室にかけ込むと、親父の手を握り、「ありがとう、よくがんばった。」とくり返した。
その5分後位に逝ってしまった。
看護師さんの話では、「耳は最後まで聞こえるから、話しかける事で少しは延命できる。」
という事で、兄貴たちは、「秀一がもうすぐ来るから、がんばって。」と言い続けてくれてたらしい。
「最後まで辛い思いをさせてしまったのは自分だな。」と思う反面、待ってくれていた事が、とても嬉しかった。
最後の最後まで「生」に執着した親父の事を考えると、新聞、TVで見る軽々しく人を殺めたり、又、
どんな事情があるにせよ、自らの手で命を絶つ人の事を腹立たしく感じる。
生きるのは一度だけ、死んでしまったら、引き返して、生きる事は出来ないんだから、
生きている内は、何度でもやり直せると思う。
長野県・男性
今でもあなたは、憧れの人であり、
尊敬できる父親です。
あなたが居なくなってから、あなたの存在の大きさを改めて知りました。
もう、あなたと話すこともできない。
親孝行することもできない。
あなたには私にどれだけの愛情を注いでくれたか・・・
わたしは、何ひとつ返すことができなかった。
でも、何かあなたに返すことができることがあるとすれば、
あなたの大切にした家族を、あなたの分まで見ていきます。
わたしは、あなたの息子に生まれてきたことを誇りにして
これからも生きていきます。
ありがとう。
憧れの父へ
長野県・男性
2年前に友達が交通事故で亡くなりました。
出会ったのが中学で、少しの間だけでしたが野球部で一緒にプレーをした仲でした。
クラスも同じで、休み時間に話したり、遊んだりした友達で、明るく、いつも皆を笑わせるのが得意な人でした。
そんなある日、会社に来てボードを見たら、名前があり、「まさか」と思いました。
朝礼で話を聞いていると歳も名前も一緒だったので悲しくなりました。
明るく、いつも笑わせてくれた友達がもう居なくなると、涙が止まりませんでした。
その日のうちに友達に連絡をしたら、皆、あ然として何も声が出ない友達も何人もいました。
葬式にはたくさんの友達が来て、最後の別れが出来ました。
若くして亡くなった友達。この世にはもう居ないけど、少しでも思い出として残す事が出来、よかったと思いました。
そっちに行ったら、キャッチボールの相手をして下さい。ありがとう。
長野県・男性
今年で三回忌になります。
私の友人のお母さん、私が人生で一番多感な時に私の親以上にいろいろ相談に乗ってくれました。
毎日、学校帰りに寄っては、夕食までごちそうになり、
話がつきて、疲れて眠くなるまで話を聞いてくれました。
それから東京へ出て夢を追う事を決め、引越しをし、東京での一人ぐらしを始め、
心細い生活の中で、はがきを送ってくれ、はげましてくれたのも、友人のお母さんでした。
東京へ出てからは、田舎の事も忘れ、夢中で生活していましたが、
今考えてみると、あの時間を私にもらえなかったら、今の自分はないと思っております。
もちろん親友とも、いまもこれからも強い絆で結ばれていますが、お礼を言いたい時に
お礼をしたい人は居ないのが、いつも心のこりです。
沢山の人達に支えられて「今の自分が生かされている」のだと実感するこのごろ。
新しい出会いは縁と思い、和を大切に生きていきたいと思います。
ありがとうございました。
長野県
ママのお腹の中はどう?すごしやすいかな?
君はあと5ヶ月ちょっといいこにしてれば、パパとママとお姉ちゃんに会えるよ。
はやく会いたいけど、まだでてきちゃだめだよ。
しっかりママから栄養をもらって元気に生まれてきてね。
君は男の子かな?女の子かな?
生まれてくるまでのたのしみにしておくからね。
パパもママもお姉ちゃんもババも、みんなまってるからね。
元気で生まれてきてね!
長野県
君が生まれた時はうれしいよりも大変なことのほうが多くって、
ただ夢中で生きてきました。
毎日が新しい発見と失敗の連続で、子供が親の所有物ではなく、
自分とは別の人格を持った、ひとりの人だということを身を持って教えてくれ、
子供が生まれたから親になるのではなく、幼い君から日々謙虚に学び、君に何かを伝える為には
どうすれば真意が伝わるか、頭を絞って考えさせられました。
今日までの私を育ててくれてありがとう。これからもよろしくね。
長野県
もう、20年が経ったんですね。あなたが余命を宣告された日から。
「後、数ヶ月です・・・」と。
頭の中がまっ白になり、うそだ、うそだ、とその告知を現実と受け止められず、
ボーと聞いた事を鮮明に覚えていますよ。
私以上に、あなたが受け止めたその心情は、どれだけ悲しかったか・・・
言葉では言い表せないですね。
あなたを全力で助けたい、まわりの人のおかげで、転院して、長い治療生活が始まり、
あなたはとても頑張ってきましたね。
又、いつもの何気ない平凡な生活が来る事を願って祈り続けました。
私は必ず治ると強い確信を持っていたんですよ。
そして今、あなたはこの地に居ます。普通の平凡な生活を送ってますね。
あなたと、私も含め、あなたのまわりの人々と・・・
いのちに感謝!ですね。
あなたがいつも言っている言葉、「何事も一生懸命やるよ」は、
「一生」と「命」、一生を長くしてくれた、いのちにありがとうです。
長野県・女性
先生にお会いしたのは子供が小学3年生に進級した時でしたね。
「うっわー、元気のいいおばさんが今度の担任かあ」そうお母さん達で話していました。
実際の先生は思っていた以上にパワフルで、子供達を上手に引っ張っていってくれました。
ある時、1人の男の子が友達同士のケンカが原因で「死んでやる」とカッターで自分の手を切ろうと
した事がありましたね。結局、かすりキズ一つもなかったけど、その件が学校内で問題になった時、
先生は保護者の前で「あの子の気持ちを思うと悲しくてかわいそうでたまらない」と涙を流していましたね。
元気だけど涙もろい、そんな先生を我が家の子供も大好きで、3年生の終わりの時の作文は、
「先生大好き。ありがとう。」でした。
そんな元気だった先生が突然入院されました。約半年の闘病生活を終え、自宅療養に入り、大分良くなったので
夏休み明けからは学校に戻ってこられる、そう聞いた矢先でしたね。
先生は他の病気で呆気なく逝かれてしまいました。
あまりにも突然の事で、子供も私もそして私の母までもが大変なショックでした。
「元気になってきたと聞いていたのになんで?」そんな気持ちでいっぱいでした。
葬儀に参列した子供達は大泣きでした。先生も悲しかったでしょうね。
思い残したことも多かったでしょう。
でも、子供達は先生に出逢えて、とても幸せでした。たくさんの元気をもらいました。
先生、これからも子供達を見守ってくださいね。
ありがとうございました。
長野県・女性